設定

 ちょっとアレコレと。

 公式のガンダムないしオリガン、果ては他のロボットアニメおよびその二次創作作品において、主役とも言うべき機体の設定とは異様なまでに細かく設定されている事が多い。機体の形式番号やサイズはもちろん、重量、スラスター推力、ジェネレーター出力、昨今では武器の形式番号や名前までも詳細に決められているものが多い。ジンの装備している何という事のないマシンガンがMMI-M8A3 76ミリ重突撃銃なんて(バカみたいに長くてセンスの無い)名前だなんて知らなかったですハイ。

 さてここで、「ジェネレーター出力? 何のこっちゃ」な文系人間の自分にはちょっとした疑問が残ります。
 果たして、ここまで詳しく決めておく必然性はあるのか?

 アニメに限らず、作品の枠内において「ジェネレーター出力がどんくらいでどうなってああなったからこうなった」や「スラスターが損傷してあれくらいだった推力がアレだけ減ってどうなった」といった演出が果たしてあっただろうか。例えあったとしても完全に理解できる人間は一握りに過ぎず、多くの視聴者あるいは読者は右から左へ読み飛ばす状態なのではないだろうか。スラスターに被弾して推力が低下しても、ちょっと光芒が減るだけで正確な数値などアニメでは表現のしようがない。文章ではこれが可能になるが、そんな数字ばかりだらだらと並べた文章が面白いと思う事は(少なくとも自分には)できない。自分が「リファイン版のストライクのスラスター推力とジェネレーター出力を教えてください」とBBSにカキコされたら「スラスター推力:いい感じ ジェネレーター出力:悪くない」とレスするだろう。

 形式番号についても同じ事がいえる。例として未練がましくSEEDを挙げるが、フリーダムがビームライフルを撃つとしよう。

「フリーダムは右手に握られたライフルを構え、躊躇いなくトリガーを引いた」と
「ZGMF-X10Aフリーダムは右腕部マニュピレーターに握られたMA-M20[ルプス]ビームライフルを構え、トリガーを引いた」

 並べてみると、どちらが読みやすいか一目瞭然であろうと思う。世の中には数字や形式番号が書かれていると嬉しい人もいる。かく言う自分も、好きなジャンル……たとえば現用戦闘機の形式番号やなにやらが書いてあると嬉しい。
 だが、所詮フィクションの存在であるモビルスーツモビルアーマーの推力合計やジェネレーター出力が分かった所でなんだというのだろう。ネット上の二次創作作品においては何をいわんや。そんなもの(整合性のある数字を確実に導き出せるならそれでいいし、それはすごいと思うが)物語の演出に何の恩恵ももたらさないのではないだろうか。まさに「無駄な数字」だ。
 サイズ、形式番号、重量までは決めておいても損はないだろう。実際画面の中で動かさなくてはならないアニメならなおさら、対比図などでサイズを把握しておく事は大事だ。
 だが、小説媒体ではどうだろう……と考えると、やはり疑問符が沸く。文系人間の僻みと言われれば確かにそうだが、データのみの充実に熱を上げるより、実際の文章でキャラクターの動作や心情を使った演出を行なった方が、読んでいる側はストーリーに引き込まれると思う。

 長々書いてしまったが、要するに「機体の正確なデータなどはあくまでストーリーの[味付け]にすぎない」という事が言いたかったわけです。詳細なデータをやっきになって作るより、一時でも多く小説を書いた方が万倍マシだ。と。「設定に縛られる」という言葉もあるわけだし。

 ……説明したがりはマニアの性さ。お前だって説明したいだろ?
 ……うん、まあ。でもやりすぎはダメだって事を言いたかったんだ。