たまにはちょっと趣向を変えて
せっかく「再生者の日記」と銘打っているのだから、それらしく舞台裏っぽいネタも書いてみようかしら。
マリューとタリアを並べて見ると分かるように、種シリーズにおける「女性軍人(指揮官)」はステレオタイプな感じだ。
女性らしさと軍人らしさを併せ持つ描写。それは自分の心がけている女性軍人の描き方と同じである。
だが問題は、何をもって優秀な軍人とするのか。
マリューもタリアも、どこが優秀なのかいまひとつ良く分からない。それは作っている側に「優秀な軍人とはどんなものか」という知識が不足しているからではないだろうか。「兵士からみた優秀な上官」と「上官からみた優秀な部下」は別物である。マリューは劇中で無能っぷりを惜しげもなく晒した結果「設定だけの女」であることを露呈し、タリアもまた同様である事が浮き彫りにされつつある。タリアの場合はさらに、副長であるアーサーを「より無能な男」にし、加えて[フェイス]という「なんだかよく分からないけどすごいエリート」という肩書きを与える事で有能さを出そうという描き方になっている。
全員に均等に出番と活躍の機会を与え、戦争という状況、一隻の軍艦という舞台の中に置いてストーリーを組み立てていくのなら、それぞれが完全に乖離した状況のままストーリーを進行させるべきではないだろう。
そして、完全な人間にドラマは存在しない。
技術士官で指揮はからっきし。対して副長は士官学校首席卒業の秀才。常にその才能の差を見せ付けられ、次第にコンプレックスを感じるようになっていく。しかし、副長もまた自分の肩にのしかかるプレッシャーに苦しむひとりの人間であった事を知り、彼女達は艦長・副長というペアとして困難をくぐり抜けてゆく。
そして副長は命令によって艦を降り、やがて艦長と敵対する存在としてその前に立ちふさがるのである。
どう? こういう感じでドラマを用意してやれば、キラのオマケにすぎなかったマリューやナタルにもスポットライトが当てられる。